こんにちは。Karmenです。
今回は久々の旅ネタ、忘れかけていた丘の街ランキングです。
「死にゆく街」チヴィタ・ディ・バーニョレージョ
イタリア・ローマの北東部およそ90㎞に位置するこの街、チヴィタ・ディ・バーニョレージョは、別名、
「死にゆく街」
と、呼ばれています。
もろい地質の崖の上に築かれ、紀元前のエトルリア時代まで遡る長い歴史あるこの街は、地震や風化で、現在進行形で崩れつつあります。
旅番組などで度々見る、イタリアのラピュタなんて言われてる、ローマからさほど遠くないことから、ちょっとベタな観光地過ぎるかな?と、言う気もしましたが、イタリア本土長期滞在後半の、
“気になっていたベタな観光地を全部見て回ろうではないか!”
というテンションに任せて行ってきました。
結論として、気になってる場所は、つべこべ言わずに行かねばならぬな!でした。
一本の橋が唯一の入り口
電車とバスを乗り継いで到着したチヴィタの街。
バス停からチヴィタ・ディ・バーニョレージョのお目当の景色を眺めるのには、少し街の中を歩きます。
町はずれに着くと、突然崖の街が目の前に。
入り口は一本の橋のみ。
手前で入村料(3€)を払い、幅2m程の橋を渡ります。
ここで思わぬ恐怖体験。
橋が凄く…高いんです…。
怖くて手摺に掴まって渡ろうと思ったら、欄干から橋の下が丸見え。
風もぴゅーぴゅー吹きさらしで、街の入り口に近づくにつれどんどん高度も勾配も増していき、生きた心地がしませんでした…。
伝わるかこの勾配!
片目で見てみて下さい(^_-)
ヒーヒー言って街の入り口に到着した時には疲労困憊。
自分史上近年稀な、なかなかの恐怖体験でした。
ポルトガルのドン・ルイス1世橋に匹敵する恐ろしさでした。
⬇︎こちらを参照のほど
死に行く街?
辿り着いたチヴィタ・ディ・バーニョレージョの街。
平日のせいか、観光客の姿もまばらで、とても静か。
狭い橋だけが入り口のせいで、車が走っていないのです。
吹く風と鳥の声しか聞こえない、朽ちた中世の街並み。
今(2019)現在は人は20人ほど住んでいるとのことです。
古い街並みは趣きたっぷり。
小さな教会、カフェ、お土産やさんなどあり、30分もあれば村内一周できてしまうほどコンパクト。
素敵なテラス席のあるバールでコーヒータイム。
いつものカフェラテと甘いもの食べて一休みしました。
秋のイタリアは最高に気持ちいい。
なんとも可愛らしい街でした。
教会を覗いたり、崖の側の展望台から絶景を眺めたり、心ゆくまで散歩して、再び路線バスで帰路につきました。
ここはローマから日帰りツアーも沢山あるようなので、ネットで検索して効率よく参加するのも手だと思います。
この時、写真なんて撮っても臨場感ない、な気分だったので、あまり写真がありません。
いつもの如く歯ぎしりして後悔しています。
もちろん思い出として胸の中にはしまってありますが、最近、何年もして一枚の写真からフラッシュバックする事が多いので、やはりルーチンになっても写真は撮っておきたいな、と、感じます。
今なら1日100枚とかそれ以上、動画も撮りますね。
街の中にはホテルもあるので、機会があれば宿泊してこの街を楽しみたい…またあの橋を渡らなきゃか…(震)。
青春の匂いの路線バス
チヴィタ・ディ・バーニョレージョへは、イタリア国鉄オルヴィエート駅前から乗れる路線バスを利用しました。
中高生が多く、東洋人1人絡まれないかヒヤヒヤするテンション。
そんなビビリ気味の東洋人などおかまいなしに、日本の田舎と同じように、男子ww女子wwじゃれ合っていました。
田舎の青春の匂いに満ちた、登校時刻の路線バスでした。
イタリアの電車、バスの時刻表は、その時々で変化球が凄いので、行こうと思い立った時にネットで最新情報をお調べください。
すぐ廃線とかなっちゃうので、油断も隙もないのです。
⬇︎イタリア国鉄だけ貼っておきます。
日本語サイトできててびっくりした…
オルヴィエートで夕食。
再びオルヴィエートへ戻り夕食。
トマトのブルスケッタと…豆のスープだったかな?
胃が疲れていたので軽めに。
(でもワイン飲める)
休みで行けなかった前夜のトラットリアの方が、ワインも含めて全体的に美味しかったです。
嗚呼…あの白ワインまた逢いたいなー…。
旅好きな人にとっては、チヴィタ・ディ・バーニョレージョは、行こうと思ったら案外近いですよ♪
最後まで読んでいただきありがとうございます。
Karmen